日常のありとあらゆるものごとに関連づけては
簡単に涙を流すようなことが
最近減って来た。



そうでもなければ
関わりのある親しいひとで
わたしより先に逝ってしまうひとが居る限り
ひとが亡くなるたんびに
いつまでも泣いてばかりだと
24時間では足りないくらい泣いてないといけなくなるのだから



あんまり泣かなくなって
それはそれで変なことではないし
咎められることでもないだろうし
でも
思い出して泣くことが減ってきたことに
すごく罪悪感を感じる。



続く










一気読みする
泣かないだろうと確信したから。



国境に出て来る韮野耕太という主人公みたいな男性は
現実に居ないんじゃないのだろうかと思うのは
この作り話の作者が女性だからだろうか。

僕が君を好きになったのは、たぶんきっと、「君を守りたい」という感情からだ
ったんだ。
::::中略::::
君は強くて、とても弱い。僕だってそうだ。たぶん、この世の中のほとんどす
べての女の子たちも。だけど、僕が守りたいと思ったのは、本当に本気で守りた
いと思ったのは、君で二人目なんだ。もう二度と会えない島本さんと、百合子さ
ん、その二人だけなんだ。


あまりよくわかってるわけじゃないけれど
一般的なまともなご両親に育てられた男の人は
おのずと恋をした女性を守るとか
恋人の関係から夫婦のカタチに変えて行き
家庭をこしらえるのが当たり前、
彼女なり妻なり家族を守って行くのがひととしての
業、
しあわせのカタチだと思っている、?のかな?

最近わかってきたのは
「まともなご両親」に育てられたひとなんて
居ないんじゃないかって。


どんどんはなしがずれていく。


このおはなしの中で共感できたのは

「可愛いと思う」というのは、恋においてもっとも大切なことの
一つだと僕は思っているので、可愛いと思える限り、僕たちは恋愛を続けていけ
るのだろう。
と思う。


確かに
齢40を過ぎたどこにでも腐る程居るよなおっさんでも
恋をするとその仕草や何かが可愛く思える。
しかし、
そう思っているのは彼女だけであって
彼女のともだちとしては
夢うつつにうっとりはなす彼のはなしに
萌えたりしない。
おっさんはおっさん。
そんな彼女に
彼氏の体臭ぷんぷんさせたこたつ布団で寝てね
って言われた時は
外の寒さで凍えたっていいから帰りたいと思った。


またはなしがそれた。


ぐちゃぐちゃになっている。



大好きなひとが
ほかのひとを探してるんじゃないかと思ってた時の方が
冴えていた気がする。



続く?




母を失ってから
頭ん中がカメラで
そのカメラがずっと連写して止まらなくて
シャッター音が自分の頭を切り刻んでいくかのような感覚で
気持ち悪かった。
それと平行して
悪夢ばかり見ていた。
意地悪ばかりされたり
虐められたり
2週間くらい経つと妖怪とかが出て来たので
「もうダメか…」

そろそろ夢がホラー化して
夢なのか怪奇現象なのか
幻覚なのかわからなくなるヤツに襲われる不安が弾ける前に
悪夢は減り、
カメラの連写も減って来た。





慣れたのではなく
無くなりつつある。



またはなしが繋がってない



ナナオのカラーユニバーサルデザイン対応ワイドモニターが欲しい!

ポッドキャストサービスのcastellaさん、動画デジカメ欲しい!


ぐっちゃぐちゃなら
ぐっちゃぐちゃでかまわない

最近私の頭から角が生えてくるんじゃないかと思う位
小言ばかり言っている。
苛々する。
ムカつく。
可能なら殴りたい。
いや、
以前は殴ってた。










日曜日に行って来た。



エルミタージュ美術館展は
前のピカソさんとは違って
お上品さがぷんぷん。
ちっちゃい頃、
「写真みたいですごい。」
という画が多くて
ふつうに色も綺麗だったり
ふつうに「奇麗だぁ〜」
とか感心するのであった。


しかし
低能でお下品なわたしは
『オウムと子どもたち』
の画の前で
お下品な感想を発したので
お上品なおばさまに睨まれてしまった。
この画の男の子が酷く美男子だったのと
すごく素敵で豪華で奇麗な額が多くて
それが良かった。
それだけだった。

1番お気に入りの額縁の画の題名を覚えていないのが
残念だった。


閉館一時間前に入ったので
最後の方は端折って観たのだが
もう行かないだろう。


結局、
画とかなんにもわからない。
でも観るのは好き。
アンリ・ルソーは好き。





映画は
原作を読んだことなかったけれど
なんとなく観たかったから。

途中から、
これで終わり?
とあっけなく終わっちゃったけど
エンドロールのおしまいの方に

協力
滋賀県のみなさま


というのがあって
吹き出してしまった。

滋賀県民である大好きなひとと観に行ってたので
それですべてOK
と、
わたしの中ではなってしまった。

おかげで
どうして滋賀県だったんだろう、とか、
いろいろはなしが弾みました。

今月はじめに観た『どろろ』と違って
葉っぱとか木が『日本』しててよかったです。
おはなしの構成がどうだこうだってのは
いずれも???でしたけど。





蟲師
『写るんです』で撮って、
町のDPEに出して出来上がりましたって感じでした。
どろろ』はデジカメで撮って、
色調やなにやかんやをあとから編集したような感じでした。
好き嫌いですね。







最近、
きゅうりが食べたいとか
きゅうりで何作ろうとか
きゅうりを思うと
スライサーで指をスライスする場面が蘇り
気持ち悪くなる。


実際に
それがあった時は
その瞬間は痛くもないのだけれど、
痛みより何より
流れ出る血の量が半端でないので
その流血のエグさから
その瞬間の場面が痛みの感触を伴って
フラッシュバックされる


キュウリに祟られる由縁はないはずだ。
京都人でもないのだから
七月にきゅうり断ちなんてしなくていいはずだし。

今日は何回か
エグい光景に目眩のような気持ち悪さが
蘇った。






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さぁ、旅を始めよう

さぁ、旅を始めよう

対極という表現は間違っているのだけれど、


方や、
とくに変わらなくていい、
一皮剥けなくてもいい、
成長しなくったっていい、って感じのバインと
また明日から再出発だ、
何度でもやり直したりしていいんだ的な海北くんと
ぐるぐる繰り返し聴いてるわたしは
やはりぐちゃぐちゃだ。


海北くんは
ちょっともう聴くのは恥ずかしい気もしたりするけれど
いいかもしんないと思ったり、


諦めてるのか
醒めてるのか
絶望してるわけじゃないけれど
前に進めばいいじゃんと決して明るくは言ってないけど
まぁ結局は
後退していいってのじゃないけど
このまんまでもいいじゃんみたいな
起承転結の無い
田中くんの歌詞は
成長してないけど歳を喰った自分なんかには
わけわかんないくらいのこのアルバムは
とてもしっくりいきすぎて
震えてしまった。
相変わらずかっこいいし、
音楽。